| ねがいをかなえて님의 프로필軽度発達障害児たちとともに生きる블로그리스트 | 도움말 |
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軽度発達障害児たちとともに生きるアスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)の息子と ADHD(注意欠陥多動性障害)の娘と暮らす日々 2007-09-20 わかりません・・・またまた本当に久しぶりにここを開けたら 日記の追加の仕方さえもわからなくなってる・・・・
どうにかこうにか こうして書けるとこまで来たけど
どんどんこのスペースが複雑化してる・・・ スペースができた当初はあんなに簡単だったのに・・・
もう二度とここに来られないかも・・・・
おばさんはついていけません
どうしよ・・・・ 2007-06-18 しゅがーさん、ねこねずみさん、おわびですすっごく久々にここを開けて、いただいたコメントを拝見していて、
あー、なんだかMSNブログも(今はWindwsLiveSpaceというのですね・・・)
最初の頃と随分変わって、すっかりわからなくなったなぁー
なんだか手に負えないなぁー・・・・
なんて思ってたら、一つ前にあった「故障」という娘のサッカー練習中の怪我について書いた記事が、
何かの拍子に削除を押したみたいで、なくなっちゃいました・・・・。
すみません・・・・。
折角コメントいただいていたのに、しかもそのコメントにお返事コメントも入れたのに、
みんな消えちゃいました・・・。悲し・・・・。
しゅがーさん、ねこさん、ごめんなさい、お詫び申し上げます。
しかし、おばちゃんには、この変容はついていけぬ・・・。
2007-04-25 中学生あまりにもあまりにも ここを ほったらかしにしていて
その間にも 子ども達は どんどん成長しているのに ちっとも 記録できていないなぁ。
仕事が本当に忙しくなって 職場のごたごたもあって 休憩時間にネットもできなくなって
こんなの書いている暇もないのに。
家で書こうったって もっと時間がない。
だけど 書いておかないと 忘れちゃう。 年はどんどんとってゆく。
今春 彼は中学生になった。
小学時代の彼は 学校という場では 楽しくもなく 勉強もはかどらず
どうして普通の子ども達と同じように 市が 行政が 彼らをフォローしてくれない社会なのか まったく納得いかないけれど
仕方なく 高いお金を払って 塾へ通った。
でも この塾が彼にぴったり合っていて それが功を奏して 周囲のことが 彼自身も含めて 随分とスムーズに進むようになった。
彼は どうしても 地元の公立中に行きたくなくて
家のすぐそこに中学校はあり 予鈴がなってから自宅を出てもじゅうぶん間に合うような距離なのだけれど
そんな立地条件など まったく関係なく
6年生の秋ごろから 真剣に受験勉強し始め
そして 今 晴れて隣県の 私立中学生になった。
隣県と言っても 私鉄で 支線から本線乗り換えを含めても 40分足らずで 家から学校まで着く。
しかも彼はもともとその私鉄マニア。
電車通学など 苦痛でもなんでもない。
学校が始まって約2週間。
毎日 学校 楽しい。
彼はそう言う。
そう言う彼を見るのは 私も 心から嬉しい。
今まで 彼の口から 保育園3年 小学校6年の集団生活で 楽しい なんて 聞いたことがない。
無理して塾に通わせ 無理して高い授業料を払ってでも この喜びを手に入れることができたのだから なおのこと嬉しい。
中高一貫の進学校ゆえ 勉強は結構きつそうで 毎日宿題に追われているけれど
誰に言われるでもなく 自分から 取り組んでいる彼を見ていると 随分自覚もでき 大人になったものだと思う。
昨日は 中学生になって最初の 児童相談所診療所の主治医との 面談だった。
彼はもちろん学校だから 児相には行ってないが
私の 毎日楽しいと言って通ってます という言葉を聞いて 主治医も とても喜んでくれた。
そして 彼のよさを発見した エピソードを語ると
そのやさしさに気づいて ツボにはまって 彼を好きになってくれる女性も きっと現れますよ って。
そう ほんとにそう思える。
今は 女の子と接したくない彼
今の学校を選んだのも 男子校だからだ。
毎日 女の子のいない教室は とてもいい のだそうだ。
でも いつかは 結婚するのかなって 自分なりに ぼんやり考えてるみたい。
きっと できると思うな。
少なくとも お母さんは 君の そのずれてるけどほのぼのしたやさしさに クラクラッっときてるから。
また 少しずつ 書いていければ。
時間見つけるのが 大変だけど。
2006-12-04 サトウ君と大根について一つ前の日記 「サトウ君と大根」 は 彼が書いた作文だ。
登場人物の名前は変えてあるが それ以外は原文そのまま。
彼になんの許可も無く 勝手に掲載してしまったので 彼に対する人権侵害かもしれないし 彼が知ればきっと怒るだろう。
でも
私は これをどこかにきちんと 記録したかった。
この作文を 彼がここまで書けた作文を 忘れないよう残したかった。
彼は この原稿用紙そのものを そのうち捨ててしまうから そうなる前にとっておきたかった。
これまで 彼がこんなに長く こんな風に自分の気持ちを表現した作文は なかった。
アスペルガーの彼は 作文が苦手中の苦手だ。
気持ちを表現することも 順序だてて文章を書くことも 文章を見栄え良く整理することも 苦手だ。
学校の作文の時間は 苦痛以外の何ものでもないらしい。
授業の1時間、2時間 作文の時間が与えられても 原稿用紙にタイトルしか書けないとうことが 彼には常だった。
その彼が ここまで書くことができた。 原稿用紙1枚と半分。
今までで最高に長くても 原稿用紙半分ちょっと。 それが1枚も書けて さらにもう半分。
よく読めば
いや よく読まなくても 専門家であれば すぐにアスペルガーの子が書いた作文と見抜けるだろう。
6年生とは思えない稚拙な文章に内容。 脈絡なく突然変わる内容。
文章自体も 前後がおかしく つながりが変だし。
流れもスムーズでなく どことなくおかしい。
内容も 保育園児ができる簡単なダンスや体操の動作が 見よう見まねでできない というアスペルガーの特徴も はっきりと現れている。
決められていない時間 フリーな時間にすることも 気を回して 考えてする ということができない 特徴も出ている。
それでも 彼にとってはすごいことなのだ。
自分の気持ちを ちゃんと言えた。 楽しかったと。 一生忘れない出来事だと。
まずは この段階までできた彼を 素直に喜びたい。
本当は この内容では 暗くなるべきかもしれない。 でも 今までのことを思えば 随分と進歩しているのだ。
問題点ばかり挙げるのではなく できたことを喜ぼう。
細かなことは これからも少しずつやっていけばいいだろう。
2006-12-01 サトウ君と大根 「あれ大根とちがうか。」 畑に入って見てみると緑色のもしゃもしゃがあった。
奥に行ってトーマスのくつはいたニックネーム「トーマス君」と待って、ジャンケンをしなければならないので
「ちょっと待ってて」って言ってジャンケンした。不安だったから練習した。
本番では2番目になれた。
そのあといっしょに抜こうと思っていたけど「トーマス君」がいなかったから一人で抜いた。
大根のくせに力がいる。
抜けたのでクスモト君と写真をとって洗いに行った。
洗うのは楽だったが袋に入れるのがややこしくて面倒だった。コモリ君に手伝ってもらった。
そしてチューリップの球根を植えるときは「トーマス君」がいた。
タカタニ君がゆくえふめいになったのでハタケダ君といっしょに植えにいった。
そのあと「レッツゴー」って言ってみたら、楽しそうに「レッツゴー」を繰り返して言っていた。
畑に来る前、園で「ハトポッポ体操」やら「おはよーの歌」とかあったけど、真似してとは言われたけど
動作がわからず、ついていけない。
シベリアはやけにきんちょうしたし、せっかく覚えた「まっかな秋」とやらがなくなってほっとした。
まだ覚えていなかったし。
足を洗う時なんか温水で学校は冷水だ。温かくて気持ちよかった。
準備はどれでもよかったし、手を挙げずにいたせいで、すごくひまだった。
本も読んだりしてたけど時間がなかなか過ぎない。
それよりわだいこははくりょくがあってよかった。
要するにかなり楽しかった。
「トーマス君」の下の名前はきけなかったけど、上の名前はわかった。サトウっていうらしい。
この出来事は一生忘れないと思う。
2006-11-28 受け入れられない昨夜 家の電話が鳴り 長男が出た。
そのまま相手の誰かと彼は話していて ところどころに 「いいんじゃない。」 「うん。」 と聞こえていたが
あっという間に電話を切ってしまった。
誰からかとたずねたら 「小○」 と クラスメートの名前を一言。
「なんだって?」 と聞くと 「明日 学校に行くの ナップサックでいいかどうか って。」
あぁ、 それで 「いいんじゃない。」 なのね。
彼は 時間割というものを ほとんどしない。
しても当日朝 「あ。 時間割してなかった。」 と言って 出発直前にする。
だから 毎日忘れ物だらけ。
体操服はたいてい忘れて行っている。 給食袋(ナフキン、お箸、歯ブラシのセット)はこれまで持って行った日を数えたほうが早い。
給食ナフキンにいたっては 持って行ったはいいが 机に敷くことはなく きれいなまま 1ヶ月も2ヶ月も 袋に入っているらしい。
今朝 彼は めずらしく いつもより早めに出発しようと 用意をしていた。
塾の宿題ができていないから 学校の朝休みにするのだとか。
「じゃ 行ってくる。」 そういう彼は ほとんど毎日 歯も磨いていなければ 顔も洗っていない。
「歯磨きはした? 顔洗いは?」 と声をかけると 「あ。 してない。」 と言って 洗面所に向かう。
今朝も そのやり取りの後 歯磨きをしてから またまた 「あ。 時間割してない。」
と 彼は 今朝も普通に ランドセルの準備をしている。
あれ? 確か 昨夜の電話で 「ナップサックでいい」 という話をしてなかったか?
聞けば 今日は近くの保育園との交流で 以前に一緒に植えた大根の収穫があるとか。
ほかには 学活で 卒業アルバムの写真撮影があると。 教科で要るものは算数だけ。
そうか そりゃ ナップサックで行きたいよな。
でも 彼は淡々と ランドセルに物を入れていく。
「君 昨日 小○君に ナップサックでいいって 言ってなかったっけ。 どうして君はランドセルで行くの?」
「だって 先生に怒られることあるから。」
「担任の先生に? あの先生 そんなことで怒るようなタイプに思えないけど。」
「でも たまに怒る。 誰がナップサックでいいって言った!?とか言って。」
「でも昨日の君の答えを聞いて 小○君は ナップで行くんでしょ? じゃあ もしかして 小○君は怒られるかもしれないってこと?」
「・・・・。」
彼はそのまま無言で出発しようとした。
玄関で靴を履く彼に 後ろから 思わず言った。
「それって 君は何とも思っていないけど もしかしたら 小○君の反感を買うかもしれないよ。
君にとっては そんなことって思うことでも 一般社会では よく思われないことかも。」
が 彼は 「行って来ます。」 と出て行ってしまった。
確かにそんな場所で そんな状況で そういうことを言う私もよくなかったかもしれない。
彼にはもっとわかるようにしてやるべきだったかもしれない。
が こういうことって その時々で言わないと きっと後から言っても ピンと来ないのでは。
でも まずかったのかな。
ただ そういう状況でとる彼の行動は やっぱり一般的には 受け入れらないのじゃないのかなぁ。
きっと 「なんだよアイツ 自分だけ」 ってことにならないかぁ。
彼には これっぽちの悪意も 深い意味もないことは 明白だ。
人を陥れようなどとは 彼のどこからも 発想できることではない。
けれど 結果的に 他人を陥れるようなことに つながってはいないか?
今回のことは たかが知れてる内容だし 相手の子も 何も思っていないかもしれないけど
これからも こんなことは きっと いっぱいいっぱい 起こるだろう。
こうして彼は周囲に誤解されていくのではないかぁ。
と 今 考えてもどうしようもないことに 不安を覚える母。
だめだなぁ。 まだまだ。
2006-11-27 中学校の入学説明会一つ前に書いたことの続きだけれど
今日 地元の中学校で 来春入学予定者の保護者説明会があった。
この説明会については かれこれ3週間以上前に 小学校を通じて 案内があったそうだが
私は まったく知らなかった。
たまたま 先週金曜日の夜 仕事を終えて家に帰り着いたとき 近くの同級生のお母さんが 家の前を通りかかって
「来週月曜日 1時半だね。」 と声をかけられ
はて? なんのことだろう? と思ったことで はじめて 説明会があると知ったのだ。
そのときは開催時間だけ教えてもらって すぐに家に入って おそらく配布されているであろう そのプリントを探した。
長男は塾に行っていて不在なので とにかく思い当たる所を 探して探して探しまくった。
が 見つからない。
仕方ないので 別の近所の同級生の家に電話をして FAXしてもらおうと思ったのだが 「入学のしおり」は冊子になっていてFAXできないらしい。
後でプリントと冊子を借りに行き コピーをとらせてもらうことにした。
その数時間後 塾が終わって 乗換駅まで帰ってきたと連絡してきた彼を 駅に迎えに行き
入学説明会のプリントについて車中で確認するも ああ そんなプリントもらったかもしれない という程度で それらの所在もはっきりしない。
その足で 彼とともに 同級生の家に出向き 借りてコピーしたのだけれど 本人は あせりも無ければ しまったという感じもない。
そういえば 児童相談所の主治医は ADD的に 忘れてしまうほうが 生きていきやすいから それでいいと 言っていた。
確かにそうだ。 いつもいつも あぁ、 またやった とか あぁ、 また忘れた とか そんなことばっかり気にしていては しんどすぎる。
だから なんとかしたらなんとかなるものは それでもいいのだと思うが。
けれど 今は こうして私がフォローできるからいいが この先 フォローする者がいなくなれば 彼はどうするんだろうなぁ・・・ と考えなくもない。
が 気にしていては こっちがもたないので 忘れることにする。
とにかく 今日はなんとか説明会に参加することができたから よしとするか。
それにしても 金曜日にあのお母さんがうちの前を通りかからなかったら 私がその時間に帰宅していなかったら
今日のことはまったく知らなかったのだから ほんとに偶然なのかなんなのかよく分からないが 恐ろしい。
ところがである。
今日参加して 初めて知ったのだが その後にも 制服採寸会の案内があったらしく その実施日は来週水曜日だそうだ。
これは少し早めに知ることができてよかったが
またも そのプリント どっかやっただろ 息子よぉ。
適当な理由そういえば このところの長男、 少しずつ「社会に合わせて」いるらしいが
そうなんだなぁと 思うことが 最近あった。
先々週の土曜日 彼が通っている塾で
いつもなら午前中は授業は無いのだが その日は 特別に午前中いっぱいを使って 判定テストがあった。
その日 私はそんなことは全然知らなくて いつもどおり お昼ごはんを食べさせて いつもどおり 午後1時前に送り出した。
夜になって 塾の授業が終わって帰ってきた彼 いつもどおり 真っ先に晩ごはんに飛びつく。
ひととおり食べ終えて 満足した頃 ふと
「お母さん、今日、塾で午前中 合否判定テストがあった。」 と こともなげに言う。
「え!? そうなの? 君、行ってないじゃない。」
「忘れてた。」
「あることも知らなかったの? お母さんはまったく聞いてなかったよ。」
「前にそんなこと言われてたかもしれないけど 忘れてた。」
「で、今日どうしたの?」
「塾に着いたら 塾長が 今日は判定テストなんで来なかったのって聞くから それでテストがあったこと思い出した。」
「で、なんて言ったの?」
「用事がありました、って言った。 そしたら次の月曜日、塾は休みだけど テストだけ受けにおいでって。」
このとき私は テストを忘れていたことよりも何よりも 彼が とっさにそんな「適当な」言い訳をしたことに 驚いた。
これまでの彼には考えられなかったことなのだ。
アスペルガーは 「適当な」言い訳など 苦手中の苦手なのに。
本当に 彼が いい意味でも悪い意味でも 社会に合わせて生きているということを 実感した。
そんな幼稚で適当すぎる言い訳は きっと塾長には バレバレだと思うけれど
でも ほんとに そんなことが言えるようになってるなんて・・・・。
実際には 用があるときは 彼はきちんと電話で伝えるし 一応塾でも 用があるときは連絡するよう指導してる。
だから そんな言い訳は通用しないのだけれど 「とっさに」 それが言えたことが やっぱりすごい。
彼は このところ アスペルガーらしいところと ADDの特性と思われるところとを 併せ持っていることを 感じさせるようになった。
整理整頓も 順序だてて物事を考えることも ダメだ。
エコには気を配るが 自分は投げたティシュがゴミ箱に入らなくても(平気ではないが) あとでちゃんと捨てることを忘れてそのまま。
大好きな車のフィギュア達がきちんと並んでいないと気が気でないが 塾や学校のプリントがめちゃくちゃで いつもどこにあるか探せない。
だから 予定を忘れることも 当たり前にようにある。
聞けば このときのテスト不参加について 家に帰ってから 母に伝えることさえ忘れていたそうだ。
だから 食後に思い出して 「今ごろになったけど・・」 だったのだ。 (それでも思い出せたこともえらいと思うが。そのまま忘れっぱなしということもあるから)
今回は 別の日にテストを受けることで 一件落着だが これから彼は なんどもこういうところで 躓くんだろうな。
しかも あまりに適当すぎる言い訳は 受け入れらるどころか かえって反感を買うことになる。
今は その場その場で 適当にうまくかわせるようになったことを 単純に喜んではいるが
やがて それは また新たな課題になる。
人間とは 障害があろうがなかろうが 一生勉強なのだなぁ・・・。
2006-11-23 生まれてきた理由昨日 彼がふと聞いた。
「お母さん、僕がなんで生まれてきたか知ってる?」
「え? ・・・・ んー、 そうだなぁ、 なんでかなぁ。」
「お母さん ぼくのことなんでも知ってるんじゃなかったっけ?」
「あぁ、 そうかなと思ってたけど・・・」
「僕がなんで生まれてきたかっていうと・・・・・ それは あとから生まれてくるアスペルガーの人たちのため だよ。」
!!!
「あ、 そうか、 そうだね。 そうだったね。」
その時は それで話が終わったのだけれど 後になって 一人で考えたら 彼の発言はすごい事だったんだと
胸が熱くなった。
本当にすごい。 もしそれを彼が本当にそう思って言ったのだとしたら。
自分には
おそらくこの先もどんどん生まれてくるであろうアスペルガーの人たちが 少しでも世間に認知され理解され 生きていきやすいよう
そのために 何かができるだろうと
何かをしようと そう考えたのだ
きっと。
確かに 以前 彼が 「僕、将来何になろう?」 と言ったとき
「先生はどう? きっとアスペルガーの人たちや同じような課題を抱えてる子ども達の よき理解者になれるんじゃない?
そういう子ども達の気持ちが分かってあげられる先生って 絶対必要だよ。 君もそういうのを 学校で実感したでしょ?」 と私が答えた事がある。
その時は 彼は 「あぁ、 そういうことも考えられるね。」 と答えた。
もしかしたら その時のことを覚えていて あの発言になったのかもしれない。
でも もしそうだったとしても
それを心に留め置いて それが自分にこそできる事と 気付いたのかもしれないし
たとえそんなに深い思いで言ったのでもなくても ただ思いついただけだったとしても
やっぱり そういう言葉を発した彼は すごいと思う。
昨日は 久々に学校を休んで 児童相談所の診療所の主治医に会いに行った。
今 彼は 毎日学校に行っている。
いつでも休んでもいい という気持ちがあるから 「有給休暇」は よほどの時のためにとっている。
もちろん 母が学校など無理に行かなくていいと言うのを充分知っているから 母に対しても誠実にしてくれているのだと思う。
昨日の休みは 大義名分。 だから 大手を振って休める。
それでも 彼は今 彼なりに
「一般常識とはどんなものか」 「社会に合わせて生きていかなきゃ」 と思っているから 少々つらくても 学校に行っている。
たまに こうして休むと やっぱり リラックスも リフレッシュもできるのかもしれない。
昨日は一日 穏やかに過ごした。
そして 夜に言ったのが 冒頭の言葉だ。
主治医も言っていたけれど
彼の 「これが一般常識で こうやって合わせていくんでしょ?」 とか 「社会に合わせるってこういう感じでしょ?」
「ぼく 頑張って社会に合わせてるよ」 と言いながら 本当にそのようにしている姿を
「こんな素晴らしい小学生いないですよ」 と。
そう ほんとうに 彼は自分の事がよく分かっている。
たった 11歳 まだ 小学6年生。
それなのに 彼はこんなにも努力して こんなにも自分自身を見つめて
おそらく アスペルガーじゃない人の 何倍も何倍も 大変な思いをしているのだ。
頭がさがる。
2006-11-02 誠実昨日のお昼休み 朝から干していたお布団を取り込みに 自宅へ帰ったときのこと。
午後1時前 お布団も取り込み さぁまた職場へ戻ろうと 玄関で靴を履こうとしていた。
そこに 突然 ドアのチャイムがなり
あれ何だろうこんな時間に? と思いつつ 玄関のドアを開けると
地域の少年補導委員の方が 私の顔を見るなり 「あんたんとこの子、 学校出たよ!!」 と叫ぶ。
一瞬何のことか分からず 「え!?」 と言う私に 少年補導委員さんは たたみかけて言う。
「さっき あんたんとこの子が 学校脱け出したんだよ!!」
え・・・・ ちょっと待って そんなはずは・・・・ と思い 言葉を失っている私に さらに委員さんはたたみかけてくる。
「あんたんとこの子、 Aという子と友達か!!??」
「え? いいえ、 うちの子から そういうお子さんの名前は聞いたことがありませんが・・・」
「今日 学校で 地域のお年寄りを招いて 焼き芋大会をしてたんだが B(うちの名字)とAという子が 門から脱走したんだよ!
いつもは門扉は閉まってるんだが 今日はお年寄りが来られるから 門が開いてたんだ、 それを 二人が途中で抜け出して!
私も 学校でお手伝いをしていて ちょっと一息ついたところ お茶をいただいてたら 子どもが飛び出た っていうんで
聞けば あんたんとこの名字とAという名字の子だから 急いで 来たんだよ!」
ここまで 聞いて すぐに分かった。
「うちともうひとり 同じ名字のお子さんが 他のクラスにいらっしゃいますよ。」
「その子は 体格のいい子か?」
「結構いいほうだと思います、 前にうちの子から聞いたことが。」
「私は 体格のいいBと聞いたから てっきり あんたの子かと。 ハーフみたいな顔した子らしいというので 探し回ってるんだが。」
「ハーフみたいなら なおさら もうひとりのB君ですね。 背丈も160センチはあったはずです。」
「そのB君の家知ってるか?」
「いいえ、分かりません、ほんとにうちの子とまったく接点ないので。」
「絶対 あんたの子と違うね?」
「はい、うちの子は学校を抜け出すなんてことは しません、 そんなことはしません。」
こんなやりとりがあったが 私ももうすぐお昼休みが終わるので 急いで職場に戻らねばならない。
とりあえず 職場に行くまで 周囲を気をつけて見ながら 自転車で回ってみます と約束し 少年補導委員さんも また探す と 自転車で去っていかれた。
この少年補導委員さん、 以前にこの日記でも書いたが うちの彼が 毎朝集団登校をせず ひとり遅れて学校へ行くので
何か問題のある子 家庭での愛情が足りない子 と思っておられたらしく ちょうど2年前 少年補導主催のウォークラリーに参加したときに
どういうことかと尋問された あの委員さんだ。
この方 毎朝 通学路に立って 元気に声をかけ 子ども達を安全に歩道へ誘導し
毎夕 下校路に立って 点滅信号で無視をしないように 指導されている 立派な方。
おそらく定年退職後 毎日地域のために 奔走されているのだろう、 地域のお祭りなどの行事には かかせない存在だ。
だから 地域の子どもを守ろうと 一生懸命考えてくださっているのだと思う。 毎日毎朝 なかなかできることではない。
2年前尋問されたとき 正直に彼の現実と親のこれまでの対応を説明し 自閉とは アスペルガーとは を少しは分かっていただいたかと 思っていたのだが
甘かったのだろうかと ちょっと悲しい気持ちになってしまった。
今 うちの彼は とても大人で 自分自身を随分理解しているし 本当に落ち着いている。
今の彼の心の中には アスペルガーゆえのもやもやはあろうが
大人に対する不満や 組織的なことに対する反発や また突発性も衝動性もあまりない と 私は思うし 彼自身思っている(はずだ)。
どうして 学校を飛び出す必要があろうか。
うまくいっているクラス 信頼している担任 気の合う友達(同じタイプの大人しくて幼い子が多い)。
今の彼に 学校を脱け出させるような要素は ない。
私もすぐに自転車にまたがり 職場まで いつもよりゆっくり目に 途中のコンビニやマンションの駐車場なんかを見ながら行った。
ふと 「うちの子は そんなことしません」 と 少年補導委員さんに言ってしまったことを 後悔した。
よく世間では 子どもを過信する親のことが言われる。 「うちの子に限って」 というあれだ。
私の発言も 委員さんには もしかしてそれと同じように聞こえたのではないか。
私は 本当に今は 胸を張って言える 彼との結びつきの深さを。
あの子の考えることは 大体分かる。
だから たとえば対人関係で何かトラブルがあったときは おそらく彼がこういう発言をしただろう こういう態度をとっただろう と
彼の非(普通の人から見た)は すぐに見抜く。 もちろん彼のアスペルガーからくる部分が比率としては多いのだが。
けれど 私と彼のことを知らない委員さんには 単なる「親ばか」に聞こえたかも。
そう思うと やっぱり 言わなきゃよかったと思ったが 本当に 彼が脱走なんて絶対にするはずなかった。
夜 夕食を食べているとき ちょっと彼に聞いてみた。
学校から脱走したのは B君とA君だね? 見つかった?
彼は なぜお母さんがそれを知っているのか まったく不思議にも思わず 淡々と説明してくれた。
彼の話によると 二人はお昼過ぎて 近くの川で見つかったらしい。
さらに彼の推測によると それはそのクラスの担任のせいじゃないかな ということだ。
隣のクラスは 担任の運営がうまくいっていないらしく よく不満を聞くそうだ。
なんとなく 理解できた。 たぶんそんなことだろうと。
明けて今朝。
いつものように 彼は 他の子ども達がとっくに集団登校で行ってしまった時間に お手洗いにいた。
その頃私は 2階で洗濯物を干していた。
彼はいつも8時になれば出発すると決めていて 早めに行って塾の宿題をしようとか決めているときは7時30分ごろ出て行ったりするが
それ以外は 大体 きっちりだ。
8時20分ごろ 洗濯物を干し終えて下に降りた私は 彼がまだお手洗いにいるので どうしたのかな と思い 声をかけた。
と、 彼は 「さぁ 行こうっと。」 と言って ランドセルを背負う。
「めずらしく遅いね。」
「うん、学校休もうかと思ったけど やっぱり行く。」
「休んでもいいよ。 この頃あんまりそんなこと言わなかったし。 理由はある?」
「ううん、 いい、 行く。」
「ふーん、 じゃあ行っておいで。」
「あ。 こんな時間。 学校間に合わない。」
確かに その時間から行くと かなりきびしい。
「じゃ 自転車で行けば? お母さんの職場の自転車置き場に置いていったらいいよ。 そこから学校まで歩いて3分ぐらいだし。」
「えぇぇ・・・・。 そんな。」
「いいよ、 間に合わないんだったら 乗って行けば。 職場に停めておいたら 帰りもそれ乗って帰れるし ちょうどいいよ。
あ、 今日 君 散髪行く予約してるから 学校帰りにランドセルをお母さんの事務所において そのまま自転車で散髪行けばいいし。」
「えぇぇぇぇ・・・・。でも・・・。」
「いいよ。 そんなの 別に問題ないよ。」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇ・・・・・・・。 いいよ、 歩いて行く・・・・・。」
「なんでだめなの? いいのに。 あ じゃあ お母さんとじゃんけんして 君が勝ったら徒歩 お母さんが勝ったら自転車。 どう?」
「うん。 いいよ。」
「じゃんけんぽん。」
「お母さんの勝ち。 はい、自転車で急げ~。」
「いや、やっぱりいい。 歩いて行く。 急いで行く。」
「だって じゃんけんしたのに。」
「いいの。 歩く。 学校には歩いていかなきゃ。 だって僕アスペルガーだから ルールは守りたいの。」
そう言って彼は足早に学校に向かった。
こんな彼が どうして学校から脱走できるだろうか。 今朝の彼を見て ますます思った。
集団登校はいろいろあった末の拒否だから仕方ない。 それでも集団登校しないと腹をくくれるまで 絶対集団登校しなくちゃいけないと 随分苦しんだのだ。
こんな彼が 学校を脱け出すはずがない。 学校を途中で抜け出すのはいけないことなのだ。 彼という人間を知っていれば当然だ。
大体学校を脱け出す理由が無い。 今の彼には おそらく 「そんな無駄なこと」 だろう。
それに 知らない世界に行くのが不安な自閉さんが
脱け出して何があるのか 何が起こるのかもわからないような不安なことに 首を突っ込むはずも 身を投じるはずもない。
・・・・ でも やっぱり 世間は 彼のことをそんな風に見ているんだな。
あの子なら脱け出すだろう。
彼は とても誠実に生きているのに。
2006-10-17 怪我騒動先週の金曜日は 子ども達の学校の遠足だった。
朝早くから 好みもサイズも違う二人分のお弁当をこしらえて 元気に送り出したのだが
もうそろそろ学校に戻ってきているかな というぐらいの 午後3時半過ぎ 会議が終わったばっかりの職場に 学校から電話がかかってきた。
長女の担任の必要以上に元気で押し付けがましい声が 耳元でがんがん響く。
なんでも 娘が遠足の途中で怪我をしたらしく すぐに学校に来いという。
職場から学校までは ほんの数分なので とりあえず すべてをほっぽらかして学校へ行く。
校内に入ると すぐに長男の担任が数人の子ども達と立ち話している姿が目に入ったが 恐ろしい長女の担任が職員室で待っているかと思うと
ここで声をかけているわけにはいかないので 通り過ぎて職員室へ向かった。
職員室では 長女が数名の教員に取り囲まれて座っていた。
バスに乗ろうと みなで道路を歩いているとき 側溝に落ちたのだという。 まったく どこ見て歩いてんだかADHD。
右足の足首から甲の辺りが 少し腫れている。 座っているときは大丈夫だけれど 歩くと痛いそうだ。
担任が簡単に状況説明をしてくれる。
状況説明ったって 担任は怪我をしたときそばにいなかったそうなのに (3台に分乗したそうだが担任は長女とは別のバスの引率だったらしい)、
おまけに ぱっと見たところ大した怪我でもなさそうなのに
どんな状況説明だよと思いつつ
担任の話や 長女の乗ったバスの引率教師の話を聞く。
どうされます?お母さん。
保健室の養護教諭 (あとで知ったのだが) が しきりに聞く。
病院行ったほうがいいと思うんですけど どこかかかりつけの整形か外科はありますか? 今すぐ行きますか?
私としては 特にひどい怪我でもなさそうだし とりあえず 職場につれて帰って そこで仕事が終わるまで待たせて 自転車のうしろにでも乗せて自宅へ帰って
それから様子見て 近くの医者へ見せに行けばいいや ぐらいの気持ちだったし だいたいかかりつけの整形も外科もないので 何度もお断りしたのだが
結局 すぐに救急で 病院で診てもらいましょう と押し切られてしまった。
教頭の車で行くから お母さんは健康保険証を取りに帰るように と言われた。
えらく 強引な進め方だな と思うが なりゆきで仕方なく 了承する。
でも 職場を放ったままだったので とにかく戻って 急ぎで片付ける仕事をして 執行部に連絡をとって しばし離籍することを伝えた。
汗だくの大急ぎで 保険証を持って 一番近くの救急総合病院に着くと 長女はすでに診察を終えて 養護教諭と待合で座っていた。
結局 なんてことなくて シップをもらって終わり。
だから 最初から言ってるのに・・・ と思うも 仕方ない。 会計を済ませて帰ろうとすると またも 教頭が迎えに来るから家まで送ります と。
家はすぐそこ 歩いても5分。 自転車に乗せて帰りますと言っても いいえ教頭の車で と。
荷台に乗せます というと なぜか長女のヤツ 乗ったことない・・・ とか言いやがる。 テメエ イツモ ノッテンジャネーカヨ と心で怒りつつ
そうでしょだから送ります という養護教諭ににっこりするしかない。
結局 長女も私も 午後5時 別々に自宅へ到着。
私は まだ職場の事務所のあかりもパソコンも何もかもつけたまま。 しかも 4時過ぎのアポ忘れてるし。
なので 事務所へとってかえす。
長女は公文教室なので 用意をさせる。 ナノニ エンソクノ オヤツノ ノコリ クッテンジャネーヨ。 ジブンノ オカレタ ジョウキョウ カンガエロヨ スコシハ。
今度は 帰りに夕食の買い物をするため車ででかけるべく 急いで長女を車に乗せ 出発。
公文に着いて降ろしたら なんと 長女 バイバーイ と手を振りながら 走って追いかけてくる。 あららららら? あんた 足痛いんじゃなかったの??
ダカラ コイツヲ ビョウインナンカニ ツレテイクノハ イヤダッタンダヨ ダイタイ イツモ オーバーナンダカラヨ ソレッポッチノコトデ ギャーギャー サワグンジャネーヨ
ま あれだけ 元気なら 大丈夫だろ。
そういえば 土曜日はサッカーの試合があるから 彼女の心配はそれにつきるんだな。
職員室にいるときでも しきりに言ってたな 明日試合あるから って。
だから 職員室では 痛いけど大丈夫 などと ちょっとやせ我慢してるのか?と思うところもあったが どうもほんとになんでもないらしい。
教職員らに 明日はサッカー休まないと と言われるたび いや 行く と言ってたけど この分だとほんとに行きそう。
てなことで 私は職場に戻り すっかり暗くなるまで仕事をして 買い物を済ませて家に帰ると 長女は 遠足の弁当箱も水筒も出さず 宿題もせず
公文のかばんもちらかして ゲームをしていたのだった。 いつもの光景だが。 さすがにどっぷり疲れて 帰ってきた体には きつい光景だったよ。
結局 翌土曜日 私はまた早朝から起きて 彼女のお弁当をこしらえて サッカーの試合に送り出す準備をしていた。
なのに 朝から またバトルをしかけてくるのだ ヤツは。
もう出発の時間だと言うのに ちんたらと 朝ごはんを食べている彼女 まだこれから 顔を洗って歯磨きして ユニフォームに着替えて・・・
とすることは山ほどあるのに いつものように あっちへ気がそれ こっちへ気がそれ 何も準備できてない。
で また いつものように 全部お母さんのせいで お母さんが悪くて お母さんうるさくて お母さんばかで お母さん黙ってろで
ハァ!? アホチャウ!? ハァ!? ハァ!? ハァ!!!!????? ハァーーーーーーーーー!!!!!!!!???????
などと さんざん言われながら お弁当を包む母だった。
ケッ!
後で 長男と その怪我騒動について
病院から教頭の車で送る云々のくだり いつも自転車の荷台に乗ってて平気なのに 養護教諭に 乗ったことない なんて言ったんだよ と話していたら
長女のヤツ そんなこと言ってないよ 乗ったことあるって言ったもん と言いやがる。 まるで悪気もない。 ハハ。 ADHDめ。
しかし 今どきの学校は敏感すぎないか?
どう見ても大丈夫そうな怪我に 救急病院。 責任のがれ? うるさい親が多すぎるから?
もし何かあってからでは遅いから。 それはわかるけど。 でも。
レントゲンひとつ撮ってもらえないのに 救急で行く必要があったのか。 費用負担してくれるわけでもないのに。
結果論と言われれば それまでだけど。
まぁ 有難いといえば 有難い。 のかな。
2006-10-11 ついそういえば 昨日の 「僕の歩く道」での テルくんのお母さんの姿勢はまっすぐだった。
テルくんをあくまで「一般社会」で働かそうとする。
私も そうあるべきだと思う。
できなければ できるように工夫すればいいし できなければ できる人が助ければいい。
できなければ 非難されるなんておかしいし できる人だけが偉いわけでも できる人だけが立派でもない。
世の中は できること できないこと できる人 できない人 いっぱい混ざってるんだ。
さて 動物園での理解者 獣医の都古ちゃん
自分の不倫やら 自分の純粋でないことやら 自分の愚かさやらに 一人でいらいらする場面があり
ドラマの最後のほうで わかっているのについ テルくんに切れてしまう場面があった。
テルくんが逃がしたねずみの調子が悪くなり 自分が夜に出勤しなければならなくなったことを
テルのせいでしょ! と思いっきり責めてしまう。
そんなこと どうしようもないし テルくんは悪くないのも わかっているのに ブチ切れてしまった。
いやぁ~ そうなんだなぁ 切れてしまうのだ。
私もいつもそうだ。
アスペルガーの彼には 切れることは滅多にないが ADHDの彼女には 毎日どれだけの「苦痛」を強いられていることか。
「苦痛」と思うこと自体 愚かで だめなことだと わかっているから 余計に 気持ちが抑えられなくなってしまう。
どうしてここまでされなくちゃいけないの!!!???? と思うことは しょっちゅうだ。
でも その反面 それは彼女がわざとしているんじゃなくて 衝動的にそうなってしまうのであって
それを いやなこと と思ってしまわずに なんとか手助けしよう という思いに変えなくてはいけないのだ。
だが つい やってしまうのだ。
そして 逃げ出したくなるのだ。
でも できない。
結局 いつも同じこと 繰り返す。
児童虐待。
いつも その言葉が頭をかすめる。
私はたまたま 娘がADHDであることを知っているが もし知らなければ 社会問題にまでなっているといえる「虐待」「虐待死」に つながったって
ちっともおかしくないと思う。
私は その苛立ちを 暴力に変えることはないが
もし その子の抱えている問題の本質を知らなければ 本人の性格のせいでも本人の聞き分けの悪さでもないのに
その子の態度は そのせいにしか思えないから 手が上ってしまうのも ありえることだ。
気持ちがエスカレート ということもあろうが そうなってしまう そうならされてしまう それぐらい 問題を抱えた子どもの対応は 大変なのだ。
「しつけのつもりだった」
たいてい 親はそういう。
知らない人は 「そんなわけないでしょ」 「何言ってるんだか」 と思うだろう。
でも もしもその子どもがADHDで その特性からしてしまうことが目に余り これはしつけなければ 言うことを聞かせなければ という思いから
ほんとに「しつけ」るつもりで 子どもを殴ったり 浴槽に頭からつけたり するんだと思う。 決して 単なる「言い訳」なんかなじゃいと思う。
昔は しつけ といえば かなり荒っぽいことをしたはず。
学校でだって 廊下に立たされたり 竹刀で殴られたり したものだ。
きっと 親は その延長でやったんだと思う。
虐待した人の肩を持つつもりは毛頭ないが 虐待事件が報道され 「しつけの一環」という親の言い分を聞くたび
そうかもしれないなと 私は思うのだ。
だからこそ 社会全体でこの問題を知り 考え そして そういう親を助けなければならないのだ。
親を救えば 子どもも救われる。
と そう思う私。
話の最初は ただのドラマのことだったのに。
なんか たいそうな話になっちゃった・・・。
僕の歩く道10日火曜日から 草なぎくん主演の 「僕の~道」シリーズ最終作が始まった。
やたらと 番宣やら記事やらを目にしていたが
「生きる道」 と 「彼女の生きる道」 までは 純粋におもしろくて好きで かなり必死で見ていたのだけれど
今回ばかりは ちょっと 騒ぎ過ぎ 期待され過ぎ おまけに「感動させます」モードがすごくて 正直 敬遠ぎみだった。
が うちの「自閉」さんが見ると言うので 初回拡大版を一緒に見た。
彼は番宣を見るたび 僕のことするよ と言ってたから。
今後の展開と演出がどうかだけれど 今日第1回目は それなりに 自閉症の特徴を表現していて 出来としては悪くなかった。
テレビを見ていると 横で彼が ニコニコしながら ブツブツ言う。
あ それ分かる分かる うんうん そう そんな感じ あ 僕も同じ あ そんなことしたらこうなるよ ・・・・・
などなど いちいち うなづけるらしかった。
彼本人も 自分は自閉症の仲間だということを しっかりと認識しているから ドラマの草なぎくんには 共感できると。
ニキリンコさんの本を読むときも いつもそう思う のだそうだ。 それ分かる それ一緒 って。
ドラマでは 幼馴染の獣医の都古ちゃんが 草なぎくん扮する自閉青年テルの 職場での唯一の理解者で
職場の他の従業員達は 対応が分からず 怒ったり困ったり
そのたびに 獣医・都古ちゃんが 「通訳者」の役割をして 自閉青年テルのピンチを救う。
その姿を見ていた 息子は 分かってくれる人がいるといいね と言った。
さて草なぎくん扮するテルくん
動物園での仕事中に 突発的なことからパニックを起こし 担当していた小動物を逃がしてしまった。
そこで みんなが慌てて園内で動物を探そうというとき
一番の理解者であるはずの獣医・都古ちゃんが 小動物を探すべく テルくんを連れてきて
「テル 向こう 探して」 と一言 言う。
あれれ? 「向こう」?? そんな「向こう」なんて 漠然とした言い方で分かるの???
それまでの都古ちゃん たとえば 掃除はどこからどこまでを一往復したら終わりと言ってください という風に
職場のテルくんの指導係に 自閉青年に分かる具体的な言い方を指示していたのに いきなりそれって なんか違うんじゃ???
と私が その演出に ふと疑問を持ち それを口に出すと
息子がすかさず
それは ぼくとお母さんみたいな関係だから お互いが分かってるから この二人の間では これで分かるんだよ
と言ったのだ。
あん? そうなのか?
そうなんだそうだ。 アスペルガーの息子の解釈は。 そういうものらしい。
なんだか 本当にそうかぁ?と つっこんでみたくなるような感じだな。
けれど 随分 「あいまい」を身につけたのね 君。
なーんて 案外 それが正解なのかも? 私が勝手に「あいまい」と決めただけで。 それは君にとっては 「あいまい」ではないか?
ふうん。 かもしれないし かもしれなくないし。
ま いいや。
だから君と一緒にいると おもしろいのさ。 日々発見。
正解かどうか ではなく。
アスペルガーじゃないとこのごろ 彼と 夜9時ぐらいから小一時間ほどウォーキングしている。
大体毎日。 雨が降っても行くときもある。 宿題に追われているときや 私が友人と食事会に行ったりするとき以外は ほとんど。
歩きながら 彼は その日あったことをメインに いろいろ話してくれる。
少し前にも書いたが 彼は自分から進んで 自分のことや塾のことや学校のことを 話してくれるようになってきている。
アスペルガーらしく たとえば 今日塾であったことを話すときは
・・・・・午後4時18分に家を出発して 4時26分の○○線の電車に乗って
××駅で乗り換えて そこで 今日の運転手が下手だったから快速に乗り遅れて 次の各駅停車に乗って・・・・
から始まる。 一番話したい塾の事は それよりもっと後になって やっと出てくる。
それでも そうやって話してくれると 小一時間のウォーキングなんか あっと言う間に終わってしまう。
今日も話の中に出てきた このごろ自分は「普通寄り」だから ということ。
やっぱり なんか寂しいな。
だって 私は 12年近く アスペルガーな彼しか知らない。
本当に 私にとっては これが「普通」 これが「当たり前」 これが「当然の日常」 だったから
これが 好きなのだ。
彼から アスペルガーを切り離しては 考えられない。
いつもいつも アスペルガーな彼に接して 一緒に暮らして
だから 我が子がアスペルガーじゃないなんて 考えられない。
本当に心から 彼が好き。 アスペルガーな彼が大好き。 これが 楽しい。 こうでないと楽しくないかも。
2006-10-02 普通またも 随分ご無沙汰になった。
早く整理して閉じなくては と思いつつ。
最近 彼はめっきりよくなった。
普通に近づいている。 (何が「普通」なのか、「普通」の定義がよくわからないが・・・)
それは彼自身も認めるところだ。
本人曰く 小学校3年ぐらいまでは アスペルガーよりで 普通から遠かったけど 最近は アスペルガーから普通よりになった とか。
だから 当時よりも 超人的な才能も薄くなってきたよ だと。
えぇ・・・・!
そんなんいやだ ちょっと変わって 扱いにくいけど 面白い彼がいいよぉ。
普通なんていやだよ 君 もっとアスペらしいほうがいいよぉ。
あの素晴らしい才能が薄まるなんて もったいないよぉ。
・・・なんて贅沢な。
より普通に生きていけるようにと願ったのは この私なのに。
これは喜ばしいことなのに。
でもね ほんとにもったいないのよ せっかくアスペルガーという 素敵な個性に生まれてきたから。
それ もっと発揮していいんだよ 面白いから。
勝手な母だ。 ごめんね。
2006-09-11 特定の銘柄今 村瀬 学さんの「自閉症 -これまでの見解に異議あり!」という本を読んでいる。
自閉症は「特別」なものではなく だれもが共感でき だれもが実は「おくれ」とともに生きている
というようなことを書かれているのだと まだ前半部分しか読んでいないけれど 自分なりに理解しつつある。
ところで。
ふと 思ったのだけれど。
自閉症の人たちは いろいろなこだわりがあり
それは たとえば 「食」 に対しても 見られることは よく知られていることだ。
それと似たようなことが 私自身にもあったことを 思い出した。
妊娠時期の 悪阻 つまり つわりのときだ。
長男を産むときも 長女を産むときも ひどいつわりがあり 入院したほどだ。
で 何を思い出したかというと
つわりのほんとうにひどいときは水さえも口にできず ただ胃液を吐くのみで10kgやせる というほどだったので それは除いて
少し何か口にできるようになってからは たとえば 水なら 「六甲のおいしい水」だったら飲める とか
軽いものが口にできるようになれば たらみのぜりーなら食べられる とか
まるで 自閉症の人たちのこだわり ひとつのものへの執着 のような感じだった。
まさしく そのものだ。 特定の銘柄のものしか受け付けないのだ。
ってことは 自閉症の人たちの そういう部分って やっぱり だれにでもあって 決して特別ではない ということがわかる。
それと つわりと 自閉症のこだわり って 何か関係があるのだろうか というちょっとした疑問も持たりなんかして。
どなたか 学者さんかお医者さんが 研究してくれないかしら。 なんてね。
2006-09-03 彼の変化 ~修学旅行長男はどんどん「普通」に生きている。
ここまで来たんだなーと思える、この頃。
6年生になって 担任の先生も おそらく自ら長男の担任を引き続きできるよう 申し出てくださったのだと思うが
これが本当に有難い。
障害としての理解 という意味では ずれてはいるが
彼に寄り添おうという気持ちが すごくあふれていて 先生には感謝してもしても 足りないぐらいだ。
6年生になってしばらくして 5月の半ばに修学旅行があった。
これまで 4年生には山の家 5年生にはみさきの家 と2回宿泊校外学習があったのだが
4年のときは 山の家に行くのもいや その前から学校がいやでいやでいやで 山の家から帰ったら学校辞めると宣言して
本当に大変なころだった。
昨年5年生のときも そこまでいやがりはしなかったが まぁ行かなきゃいけないんだろ という感じで
楽しくもないが 付いて行きました という状況だった。
それが今年。
6年生の彼は なんと 行く数日前から 「修学旅行楽しみ」 と言っていたのだ。
はじめその発言を聞いたときは あまりに思いがけなくて 「へ!?」 と聞き返してしまった。
でも 彼は本当に楽しみにしていたのだ。
事前に先生から いろんな説明があったらしく
もちろんこれはうちの子だけでなく 全員に対して先生は丁寧な説明を 心がけておられたようで
それはかなり功を奏したらしく
魚をさばくのが楽しみだ とか 磯遊びはちょっといやだけど(ざらざらに対して感覚異常がある)ゴムぞうりあるから大丈夫 とか
それまでの彼には考えられない言葉を 決して暗い表情でなく いや明るい表情で いくつも私に語ってくれた。
そして その気持ちのまま当日を迎え 友達と誘い合わせて学校へ向かった彼は これから始まる楽しい体験を本当に待っていたのだろう
重い荷物も軽そうに見えた。
次の日の夕方帰ってきたときは 友達とは別に一人でとぼとぼ歩いていたから 何かあったか!? と一瞬思ったが
別にそうではなく なんとなく一人歩くのが遅くなって はずれてしまったということで (そういうところ、絶対人に合わせられない)
見た目のションボリさとはうらはらに 楽しかった体験を 実に楽しそうに嬉しそうに いつものゆっくりペースながら途切れることなく
しゃべり続けてくれた。
魚をさばいて干物を作った体験が 一番印象深かったらしく その時着用していた体操服に魚の血が飛んでいたけれど
そんなこともなんてことなく そういうのはいやがるのかと思っていたが 気持ち悪かったけど面白かったと言う。
修学旅行後 しばらくは 「お母さん僕がさばいてあげる」 と 毎日のように申し出てくれた。 献立が魚でない日ももちろん申し出てくれていた。
修学旅行の何日か前 担任と話すことがあって 私はこの喜びを口に出さずにいられなかったので
修学旅行を楽しみにしています 今までこんなことなかったのに 自分から楽しみだと 言ってくれました と言ったら
担任もほっとされたようで 彼と出会えてよかったです とまで言ってもらった。
このとき 本当に成長したものだと しみじみ思った。
そして 修学旅行からひと月ほどして 参観日があり
その時に修学旅行の写真を貼り出すから 購入希望者は 封筒に写真番号を書いて 現金封入で申し込む ということだったので
私はじっくり写真を吟味した。
実は 4年生の山の家でも 5年生のみさきの家でも 同じように 写真を貼り出して 購入できるようなシステムになっていたらしいのだが
写真を撮られるのもいやだし 写真の自分を見るのもいやだし
だいたい 行ったこと自体いやなんだから そういう写真展示会があることさえ 彼は教えてもくれなかった。
だから私は 過去2年 彼がどんな風に参加していたのか まったく知らなかった。 話してもくれないし 写真もまったくない。
でも今年は 彼自身が 写真展示のことを教えてくれたし それを見て買うことも いいよと言ってくれた。
その参観自体は 彼がどうしても出席したくない音楽の授業だったので 彼は欠席して親だけが観に行くという 変な図式にはなってしまったが
展示室に貼ってあるお目当ての写真は 1枚1枚よく見て
彼が写っているものや お刺身や蛸のアップ (そんな写真を買う人はいない・・・) なんかをチョイスし
気付けば20枚ぐらい チェックを入れていた。
彼に 20枚ほど頼んだ と言うと お金に対して無駄遣いダメ・残さなきゃダメの こだわりのある彼は そんなにたくさん使ってはいけない と言いはしたが
きっと君も気に入る写真を選んだよと と言うと それなりに期待しているようだった。
もちろん それからさらに1ヵ月後に届いた焼増し写真を見た彼が 喜んだのは お刺身や蛸の写真。
お母さん よくわかってるね 僕の好きそうな写真 とお褒めの言葉までイタダいた。
そうそう 修学旅行前には それまであまり得意でなかったお刺身を 食べられるようになろうと 練習していたっけ。
だから そのころは 何回かお寿司屋さんに行ったし 夕ご飯にも出した。 特に 鯛のお刺身は リクエストがあったから よく食べる練習をした。
それも 担任の先生が 鯛のお刺身が出るとか蛸がまるごと出るとか 前情報としてくれていたからで
先生はアスペだからと思われたわけではなく 子ども達の気持ちを高めるために 細かく事前説明をしてくださったのだろうと思うけれど
本当に本当に有難い配慮だった。
お土産も 彼は彼なりに 一生懸命考えて買ってきてくれた。
お世話になっていたピアノの先生や いつもお菓子をくれるお向かいのおばちゃんにも 限られたお小遣いの中から買ってきた。
旅行から帰ったその晩 疲れているにもかかわらず どうしてもすぐに渡したいからと お留守でも何度も足を運んだ。
私や妹や祖父母に買ってくるのは 行く前から宣言していたのもあって もちろん買ってくると思っていたけれど
そういう 普段お世話になっている人たちにも渡したいと思える気持ちを 彼が持つ事が出来ているのも 本当に嬉しい。
受け取ってくださったピアノの先生やお向かいさんは そんな彼の気持ちが 心から嬉しいと言ってくださった。
こうやって 少しずつ彼の良さを分かって 可愛がってくれる人が できれば。
それこそ私は安心して死ねるんだけど。
ま でもそれまでに もっと成長できるようにしておきたい。
修学旅行は もう 4ヶ月近く前のことになるが その後も 彼は成長している。 少しずつでも記録していけたら。
2006-08-30 死のとらえ方先月はじめ 私の実姉が他界した。
45歳になったばかり。 夫を亡くし 子ども達3人との母子家庭だった。
初診の段階で 転移のある悪性腫瘍だったので 死が近いことは昨年から知っていた。
7月前半の月曜日の午後 入院先の主治医から電話があり 私が駆けつけた5分ほど前に息を引き取ってしまった。
その夜 姉の亡骸は自宅に帰り 私はばたばたしていた。
一度 夜に家に帰り うちの子ども達に ことの経緯を説明した。
長男は 無言で聞いていた。
「死」の意味は知っていると思う。 言葉が見つからないのだろうか。
長女は あれやこれやと聞いてくる。 どしようもないことも聞いてくる。 答えるのもしんどくなるぐらい。
特定の宗教の信者だったので 一般的な葬儀はなかったが
それでも 火葬だけはせねばならないということだけは確定していた。
「通夜」もないから 翌日火曜日の夜も特にうちの子ども達を 連れて行くこともなかった。
彼らはいつもどおり 学校に行き それぞれ塾に行った。
僧侶が来るわけでもなく 同じ信者仲間がぞろぞろと尋ねてくるだけで 別になにも儀式的なことはない。
「通夜」にあたるその夜遅くになっても うちの長男は 何も聞かない。 どうしようとも言わない。
長女は お葬式行くの? 学校休むの? としきりに聞いてくる。
明日の火葬はどうする? 一緒に行く? と聞くと
長女は 行く 学校休んでいいなら行く と。
理由は 「うらまれるから」 ????
どうも ちゃんとそういうものには参加しないと うらめしや状態になると思っているらしい。
そういえば 彼女は 私の両親の毎月のお墓参りにも のろわれたらイヤだからか? ついてくる。
お墓に供えるお花なんぞを 楽しそうに見繕ったりする。
長男は 水曜日は塾だから 火葬にはついていかない と言う。
火葬は午後2時で 出棺は1時。
確かに彼の言うとおり 火葬につきそっていたら 塾には間に合わない。
一見 薄情にも思える。 身内の葬儀より塾を選ぶのか? 普通なら怒られてしまいそうだ。
けれど 彼はアスペなりの捉え方をしているのだと思う。
姉は生前 長男のことを気にしてくれていた。
離れて住んでいたし それぞれ仕事も家庭もあり あまり会うことはなかったが
長男がアスペルガーだと言うと 姉なりに本を読んだり調べてくれたり していたようだ。
火葬には来ないと言った長男にそのことを話すと 表情は変わらないが たぶん何か少しは感じてくれていたと思う。
かくして水曜日の給食前に 父が学校に長女を迎えに行き 長男はそのまま午後も授業に出て 普通に下校して 塾に行った。
焼き場では 棺が焼かれている間 待合で待つのだが
姉の子ども つまり うちの長女にとっては従兄弟たちと 談笑しながら 長女は転がって笑っているときもあった。
こんなんでいいのかと思うほど 和やかだ。
やっぱり長女に 死の意味を考えさせるのは難しいのだろうか。
宗教上の理由で収骨もしなかったが 焼き終えたお骨だけは見せてもらった。
それを見た長女は さすがに何か感じたようだった。
骨が パチンッ とはじけた。
長女は 驚いていた。
その夜 塾から帰った長男に 火葬のことを話すと
やっぱり表情そのものは いつもどおりだったが
もう死んだんだね
とポツリと言ったのを聞いて やっぱり彼なりに 悲しいのかとも思う。
ただ 二人とも 両親ともいなくなった従兄弟達について 今後どうなるかという想像は やっぱりできてなかった。
当たり前か? まだそんなの無理か。
2006-08-29 日々ここを開けなくなって久しい。
もう閉じよう もう閉じようと 思いつつ、ここに来られないでいた。
時間的なこともだし 気持ちの上でも私が発信することもそうないので
ついつい遠のいていた。
彼らは彼らで どうにかやっている。
長男は 自分なりの生き方を 自分なりに考え始めている。
長女も 激しさは増す一方だが 彼女らしい日々を送っている。
私の気持ちしだいなのだ。
彼の 遅々とした歩みを どう受け止めるか
彼女の ADHDゆえの 激しさを どう受け止めるか。
そんなことは とっくに知っているのだ。
ふと気づくと ここを始めたのは 2年前の 8月28日。
3年目に入っていたのか。
2006-07-10 少年の心奈良で起きた 高校生の少年による 放火殺人事件
全国で名を馳せる 進学校T学園に通う少年が
父親からの過度の期待 重圧に耐えかね 自宅に火を放ち 継母と幼い兄弟が亡くなってしまった
あの事件が起きてから
私の頭の中には ずっと ブルーハーツの ひとつの曲が 流れている。
2006-07-03 最近の彼ら 新学年になってまた始めようかな・・・ と言ってから また 随分と日が過ぎている。
気付けば もう7月。
この何ヶ月かに 結構いろんなことは あったのに。
記録しないと 忘れてしまう・・・。
4月から 長男は6年生になった。
随分と心配もしたが 担任は5年生と同じになった。
彼らが通う小学校では 昨年から 1年毎にクラス替えをするという体制に変わって
4クラスある6年生の子ども達は みなシャッフルされ また顔ぶれが変わってしまった。
なかなか変化を受け入れられない アスペルガーには 結構つらいものがあるんだろうと思う。
せめて担任だけでも と祈るような気持ちだった。
周囲ではいろんな憶測が飛び交い
きっと5年の時の担任とは 変わるであろう と 私も半ばあきらめていた。
が、 どうにか、 いや きっと 担任がかなり強力に 申し出てくれたんだと思うが
理解するまではいかなくとも 長男を見守ろうとする姿勢の担任が そのまま受け持ってくれて よかった。
さて
6年生になる前に またちょっとした アスペにまつわる出来事があった。
学校では 朝の登校は町別の集団で と決められている。
通学路には 保護者の中から選ばれる地域委員会委員さん達や 一般保護者が 当番で
黄色い旗を持って交通整理している。 私も当然 2~3ヶ月に1度回る 当番に出る。
地域の 定年退職されて お時間のあられる少年補導委員のおじさんも
同じ様に 雨でも雪でも暑くても寒くても 毎朝立って 子ども達を見守ってくださる。
長男はもうずっと 集団登校していない。
集団が苦手な彼は 集団で苦痛を感じながらの登校は できない。
低学年の時に 登校班で 上級生からずいぶんやられた という嫌な思い出もあるし
毎朝出てくる 甲高い声でやたらほえる 近所のNばあちゃんも とっても苦手だ。
集団登校が原因で 不登校も したぐらい。
だから 4年生の頃から 集団では行かず 単独で遅れて登校しているが
それは もちろん学校にも事情を説明して了解を得て、 町内の地域委員さんにも伝え、
少年補導委員の方にもお願いして それを認めてもらっている。
ところが。
今年3月の 長男5年生の最後の町別集会。
町別集会というのは 何ヶ月か毎に 金曜日の5時間目 町内ごとに分かれて集会をし
地域委員さんと その町担当の学校の先生の立会いの下
登校班での問題点を話し合ったり 地域委員さんから注意事項を説明されたりして
その日は 町毎に集団下校をする というもの。
3月最後の集会は 次年度の4月からの 登校班班長 と 副班長を 決めるらしい。
そして そこで 4月からの副班長に なんと長男が指名されたというのだ。
実は私には それは その日のうちには分からなかった。
翌日か翌々日ぐらいだったか 長女が 夕食中に何気なく
「お兄ちゃん 副班になったよ。」 と言ったことで 私は初めて知った。
「へ?なんで?お兄ちゃん集団登校してないのに?」 聞くと 長女は
「うん、でもこの間の町別で 副班って。 黒板に名前も書いてあったよ。 ほら、これ名簿もらったの。」
私の頭の中では なんで?どうして? 一体・・・・。
(それにもらったプリントはその日のうちに出せよな・・・ お前達・・・・)
そこに一緒にいた長男に 確認してみると
「そうみたい。 勝手に決まってた。」 と ぼそっと 答える。
「君、それでいいの? だって集団登校してないのに?」
「でも決まってた。」
「引き受けたの?」
「・・・・・。 分からん・・・。」
なんだか 私にも 事情が今ひとつ分からなかった。
が、 問題は 本当に彼がそれをできるかどうか。
とりあえず彼に 6年生になったら集団登校するのか聞いてみたが やっぱり それはいやだと言う。
副班長になるってことは 集団登校をするってことだよ と言うと
それはいやだ 絶対に 一人で行きたい と答える。
仕方ないので 同じ班の6年生の女の子に代わってもらおうと そのおうちに電話してみた。
そこのお母さんは 4月からうちの町の新しい地域委員さんだ。
ついでに 長男のことが 地域委員さん内で申し送りされているか 聞いてみた。
そこのお母さんは 自分の娘に副班長をさせるからいいよ 交代するよ と 気持ちよく言ってくれた。
長男が集団登校をしていない件については
あぁそうなんですか という感じで はっきりとは 知らなかったようだ。
今回の事は すでに班長も副班長も決まっていて
自分たち新地域委員も 出来上がった名簿をもらっただけで 詳細は不明 だそうだ。
何なんだ、 旧地域委員さんには ちゃんと申し送りを願いしたはずなのに・・・。
とにかく 副班長は変わってもらい 御礼を述べて 名簿の再作成をお願いした。
そして その翌日。
旧地域委員さんから うちに電話があった。
地域委員さんは 各町に2~3名いて 私が直接長男のことをお願いした委員さんとは
違う人からの電話だった。
電話の内容はこうだ。
勝手に 副班長を代わってもらったら困る。 今回はもう仕方ないけれども。
でも町別集会の時に ちゃんと 息子さん本人にいいかと聞いた、
そしたら いいと言ったから 決めた。 なのに 何を今さら。
学校の町別担当の先生も その場に立ち会ってもらって ちゃんと それを聞いてもらってる。
いやだったら その時言えばいいのに。 なんで その時に言わないのか。 後から言われても 困る。
大体 こんな内容で 一方的に責められてしまった。
私は 本当のところがつかめなかったので うちの子が本当に納得して自ら了承したのでしょうか
と聞いたら
そうです ちゃんと 副班長だからね と言って 本人に聞いた と言われた。
でも うちの子は 内容を瞬時に正しく理解して答えられないことがあるので と 謝ったのだが
そんなことは どうも信じてもらえない というか 納得できないというか そんなはずないとでもいう様子で
ちゃんと確認して 本人からOKの返事をもらったのに おかしいではないか、 と言われてしまう。
結局 随分怒られたが なんとか副班長は外してもらえた。
こういう状況には 慣れているとはいえ 後味の悪い電話だった。
後で 長男に お母さんがお願いしたから副班長しなくても大丈夫だよ と伝えたら
彼は ホッとした様子だった。
その続きに 町別集会のときの様子を 彼に少し聞いてみた。
彼は 副班長になることを聞かれたような気もするけど
よく分からない その時に 集団登校で行くとは考えてもみてない と答える。
やっぱり そうだ。
彼には 突然言われたことの全容が 瞬時に理解は出来てない。
副班長を引き受けるということは 毎朝 班で集団登校することであり
そのためには 毎日集合場所に約束の時間までに行き 班員の確認をし
最後尾にずっとついて 決まった道を 学校まで引率して行く
そして 集合場所には 天敵のNばあちゃんが毎日いる ということ。
だが ある日突然 君は副班長だと 言われても その場で そこまで 思いが及ばない。
目の前の言葉と その先にある結果が 結びついていない。
彼はアスペなのだ。 担任の先生には もう何度も何度も何度もお願いして
先々の予定も 分かる限り 事前に彼に伝えてもらっており、
その内容も なるべく具体的に 言うようにしてもらっており、
だから彼は クラスの中では 混乱少なく 学校生活を送れている。 パッと見は 問題ないように思える。
けれど そこまでしても やっぱり彼の中には 多少の混沌はあるとは思うし
その混沌があるがゆえに 学校生活に疲れているだろうし 学校に行きたくないという思いも ずっとある。
そこまでしても そうなのだ。
だから この町別集会で唐突に こうだから と言われても それがどういうことなのか 理解しているとは
到底 思えない。
でも 普通の子供しか知らないお母さんにしたら
もう6年生になろうというのだから
自分の気持ちぐらい伝えられて当然、 その時に言えて当然、 なんだと思う。
だから きっと 私は 「なんという母親!?」 なんだろう。
しかし
その時の立会いの先生 というのが
我が校の 特別支援コーディネーターの先生だと言うのだから さらに驚く。
うちの学校長は 何もしてくれない 何も動かない もう何を言っていっても無駄な人だと
とっくに あきらめてはいたが、 コーディネーターの先生も 急ごしらえで
一度そういう軽度発達障害の子を 担任したことがあるから というだけで
その先生の適性も 障害に対する知識も取り組み方も まったく考慮せず 適当に任命したものだから
対象児の 一人一人にあった対応など 夢のまた夢だ。
今は7月。
結局 彼は 4月以降も 副班長にならず いつものように 一人遅れて学校に行っている。
あのときの ひと騒動は
最後には はっきりしないヘンな子とか 私の育て方が悪い とか
そんなことで片付けられて終ったようで
彼がアスペゆえ 生きにくい という現実と 私自身の中にいやな思いだけが残って
何も進歩していない 発展していない この理解のない現状に 気付いて
愕然とする。
彼らが 理解されるのは 本当に難しい。
2006-06-22 当事者の苦しみこのところ、 随分 社会生活がしやすくなっているように見える 彼
ひと月ほど前 ポロッと こんなことを言った。
「 お母さんも 明日から アスペルガーになってみ。」
唐突。 少し驚いた私は
「 え? なんで?」
すると 彼
「 そしたら 僕が どんなにつらいか分かるよ。
人と合わせたりするの しんどいから わかるよ 僕の気持ちが。」
そうだよね。
そんなんだよ。
君は きっと すごく大変なんだよね。 お母さんは 君の大変さを 想像する事はできても
実感する事はできない。
しかし そんな発言ができるようになった彼にも 驚く。
そうやって 自分の気持ちが 表現できるんだ。
すごいね 君。
そんなことできるようになったんだね。
お母さんは 君のつらさは体感できないけど 君を見守ることしかできないけど
これからも 君の心に 寄り添っていこうと思う。
2006-05-16 また始めるかな・・・すっかりご無沙汰になってしまって
ここがあることさえ 忘れそうになっていた。
お付き合いのある ブログ仲間さん達には とっても申し訳ないことをしたと思う。
本当に ごめんなさい。
長く休んでいたが それでも ここを根気強く(?)訪れてくださる方があったり
どこかから検索して 飛んできてくださる方があったり
やっぱり 世の関心のある話題ではあるのだなと 感じる。
ずっと もぐっていたのは
私の問題で 子ども達には何も関係なく
私がどんなに沈んでいようと 彼らは彼らなりに 逞しく育っていて
子どもって すごいなー
と単純に感心してしまう。
長く更新もせず 低空にいたのは
そう、 子ども達の問題ではなく 私の問題。
・・・ 身内の金銭問題、 身内の健康状態、 夫婦の問題、 恋愛の問題、
私自身の健康状態、 などなど どれも 解決をみたわけでは ない。
それでも 時は淡々と過ぎ 季節も次々と移ろい
私はやっぱり ここにこうして いる。
私が 大変な思いをし けれど 大事に思う子ども達も ここに 元気に いる。
なんか それだけで 生きている意味があるような気がして
また ここに子ども達の記録を 綴っていこうという気持ちが 少しずつ少しずつ ふくらんでくる。
とはいえ
2月から 仕事がとても忙しくなり 休日出勤も 残業も ますます多くなり
ここを更新していくのは 以前のようには いかないかもしれない。
それまでは 仕事の合間の 昼休みなんかに UPしていたけれど
昼休憩もままならない状況が 続いている今
さて どうなるか。
まぁ ぼちぼち。 ぼちぼち。
それが 私だから。
無理しなくていい。 このところ よく長男が私に そう言ってくれる。
そんな 成長した彼や彼女のこと また 以前のように 以前よりももっと よく見て
そして たくさん泣いても たくさん笑えればいいな と そう思う。
・・・・ ここを訪れてくださっていた たくさんの方々に 感謝します。
ありがとう。
2006-02-18 国際アスペルガー年今年2006年は 国際アスペルガー年。
今日 2月18日は
アスペルガー症候群について 初めて研究し その症例の名前にもなったオーストリアの医師
ハンス・アスペルガーの 生誕100周年。
いうことで 今年が 「国際アスペルガー年」 とされたらしい。
アスペルガーの論文はドイツ語で発表されたため
同じ時期発表された カナーの言った自閉症のほうが 先に世の中に知れ渡ることとなり
アスペルガーの言った自閉傾向の症状については 広く知れることにはならなかった。
その後 イギリスのローナ・ウィング博士により アスペルガーの研究した自閉症が英語で発表され
国際的に認知された。 それが 今から25年前。
国際アスペルガー年では
アスペルガー症候群を発見したアスペルガーや他の研究者の業績をたたえ
アスペルガー症候群かもしれない人たちには診断を受けることを勧め
アスペルガー症候群の誤解を正し
公的な援助を求め
社会への認知を広めていく
らしい。
なんだか すごく 限られた中での 記念年みたいだな・・・。
地道に広めるしかない だろう。
2006-02-17 映画から思うこと昨年の11月と 少し古い話になるが (もう3ヶ月も経つのか・・・)
「IN HER SHOES」 という映画を観た。
キャメロン・ディアス演じる主人公マギーは 若さと美貌だけで世の中を渡ってきたが
30才を目前にして 自分には何もないことを知り 焦る。
これまでは できのいい弁護士の姉に頼りっきりで 彼女の助けで 生きてきたが
姉の恋人を寝取ったことから それもかなわなくなり 姉の家を追い出され どうにも立ち行かなくなった。
仕方なく 姉の恋人から掠め取った現金で飛行機のチケットを買い
ずっと以前に離れてしまって 長年会っていない祖母を 老人ホームに尋ねる。
祖母からお金さえゲットできればと思っていたので 最初は毎日ぶらぶらしていたが
そこで老人たちと接するうちに
自分にもできることがあると知り 人生をやり直すことにする というストーリーだったと思う。
その映画の中に とても印象的な 一言があった。
この映画では マギーは 難読症 という設定だった。
映画の説明には 難読症 とあったが ディスレクシア といわれることもあるし
私たち日本人には LD -学習障害 というほうが なじみがあるかもしれない。
マギーは 簡単な計算もできないし 字も上手く読めないという 設定。
老人病院で 病状末期の入院患者に 本を読むシーンがあるが その場面の演技は
たどたどしくしてるだけで 読んでいる場所が分からないとか アルファベットが理解できないとか
そんな感じはなかった。
マギーは 祖母のいる その老人だけの街
多分サンシティーのようなところだと思うが そこで 生きていこうと考える。
そこで 老人たちの買物代行の仕事を 始めようかと考えるが
字が読めないので 躊躇する。
その時 シャーリー・マクレーン扮する マギーの祖母が 言った。
「 手伝うわ 」
にこやかに微笑んで言ったのではなく 表情はどちらかというと淡々と
けれども すべてを包んでいるわ とでもいうような感情を表すかのような目で
本当にさらりと 普通に そう一言だけ 言った。
マギーは祖母には 自分が難読症であるとは明かしていないかったが
祖母には なんとなく分かっていた。
何なのかよく分からなくても 祖母は 何かがあると悟り それで困るなら
手がある人が貸せばいい と きっと普通に考えたのだと思う。
そんな なんでもない場面で 私は 思わず ほろっときてしまった。
そう そう こんなのがいい。
それで困ってる人には それで困ってない人が 手伝えばいい。
こんな風に さらりと 困ってる人が困ってると言い 手伝える人が手伝うよと言う。
こんな世の中がいい。
アスペや ADHDや その他の 生きにくくて困ってる人が こんな社会の中で過ごせれば。
もう一つ 一ヶ月前に 「博士の愛した数式」 という映画を観た。
小川洋子さんの 同名の小説の映画化。
私は 小説は読んでいなかったが 一緒に観に行った友人は読んだことがあるらしく
映画のほうが わかりやすかったそうだ。
映画は 事故で 80分しか記憶が持たない数学者と
そこに出入りする家政婦と その息子との日々を 描いたもの。
こちらの映画には 「印象的な一言」というのは なかったが
というのか もともと数学ギライな私は こんな先生に出会っていたら もっと算数や数学が好きだったろうな
というのが一番の感想で そこに出てくる 完全数や友愛数など とても面白く観ることができた。
この映画では 家政婦さんとその息子は 脳障害を持ち 日常生活にも不便をきたす博士を
まるっきり 「障害者」 や 「ヘンな人」 や 「かわいそうな人」 という目で見ていない。
ごく自然に 博士の特性を受け入れ むしろそれを楽しみ ただいたくてそこにいる。
この映画の主題はそこではないのだろうが
私は この映画を観て 「障害者に寄り添う」 という姿を学んだように思う。
こうやって 私は そういう人たちに接することができるのだろうか。
今の自分はどうだろうか。
観終わった後 随分 考えた。
古い話になったが いつか書こうと思っていたので UPする。
関係ないけど キャメロン・ディアス 可愛くなくはないけど えらくズン胴だったな・・・ 妙に印象的
関係ないけど 朝丘ルリ子さん いくつになってもガリガリで いくつになっても化粧オバケだったな・・・
でも 和服がとてもしっくりくる 品のある おばあさん (おばさんぐらいかな?設定は) だったな・・・
そんなとこに目が行く私も ワイドショー的なオバサンやなぁ・・・
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